「Nagasawa Tomoyuki Acoustic Live 2018」@ 南青山MANDALA

 

ブログを久しぶりに書くので、どうやって書くのかわからないです。*1

 

南青山マンダラでの長澤知之さんのアコースティックライブに行きました。

AL以来の長澤知之の声とギターを聴きに行きました。

そうそう、別に書くことではないけど入場待ちの時はほぼ女性のお客さんの中にいて自分も女性になりたい気分でした。
入場してライブ前までもそうでしたが、ライブ終了後の女子トイレの並びを見て男性でよかった気分でした(書かなくてよかった)

 

 

全部の曲をあんまりちゃんとは覚えてないんですが 、オフィシャルのツイート参考に感想。『左巻きのゼンマイ』からのスタート。

「だれかのうーけーうーりー」と「みんな」までの間の「い」唄い方、声の伸ばし方?、が個人的に注目ポイントでした。あそこの「い」の自由度高いですよね。

最初にこの曲を聴いたのはALバージョンで小山田壮平歌唱だったので、そちらも素敵でしたが、本家本元もよかったです。小山田さんは綺麗に音程が上がる、昨日の長澤さんは綺麗に下がってく感じだったかな。

 

『スリーフィンガー』最後の「スリーフィンガーで」の連呼のところで、音源の「(one two) スリーフィンガーで」がお気に入りポイントでしたが昨日はなかった。

でもこれはレコードの溝に自分がいただけ。

 

はい。全曲の感想はやめます。最初からする気ないのに。

誰かと全部話せはするけど書くのはなんか難しいですね。話し相手いないのに。だからここにちょっとだけ書きます。

 

『そのキスひとつで』はMVの津野米咲さん(赤い公園)のノリで?*2聴きかったのでまあ首振りながら聴きました。ずーっとずーっとは松江さんも唄うと想像してたけど、違いました(笑)

 

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『笑う』は歌詞は拝見していながら、音は聴けておらず早く聴きたかったので聴けてよかったです。

 

 

『P.S.S.O.S.』ってサイモンとガーファンクルの『sound of silence』と似た雰囲気ですよね。用語はよく知らないけどリフとか歌詞も、かな。歌唱法は違って、P.S.S.O.S.の方が悲痛、というか叫び、ですね。昨日のライブも。

 

SOSってそういうこともあるかな。Sound Of Silenceの長澤解釈が『P.S.S.O.S.』。という見方できますよね。みんな既に思ってたわ!とか、いやいや全然違うわ!ってなってたらすみません。*3

長澤さんが作った造語、だったと思うけど『silent siren』とのつながりもグワっと連想ゲーム出来て楽しいです。最高。

『sound of silence』には「ネオン」って歌詞が多いですし、『無条件幸福』とか『されど木馬』の解釈に役立ちそうな曲でもあります。ま、そもそも『sound of silence』の解釈ができないときついし解釈がむずいですけど、ま、しょうがない。皆さんも一度ぜひ。

 

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あとは『アーティスト』から幸せへの一直線感がマンダラのなかにあったような。

 

松江潤さんよかった。ギターはもちろんのこと、漫才で言うとツッコミも。長澤さんボケてないのにボケてるから笑いをとった手ごたえはないと思うけどMC面白かったです。*4

 

松江さん、天才を活かすのもこれまた天才って感じで最高でした。

 

おわり。またどこかで遊びに行きます。

 

 

*1:アクセスしてくれてる方、欠かさず書かずなのに、見に来てくれてありがとうございます。

*2:異次元ハニー目線ではなくてね

*3:よくよくリフ?を聴いたら勝手に脳内で似せてた気がしてきました。3日後日談

*4:andymoriでいうと小山田壮平と藤原寛の感じに少し似てる。ALでいうと、長澤知之がしっかりしてるツッコミ側に回るのでその辺も可笑しい

“ 2 × AL ” 「SONG FOR YOU」@ 渋谷WWW X

 

2(ツー)はこれからツアーが始まり、この日にセカンドアルバムの発売となったバンド。

ALは今まで呼ぶことはあっても呼ばれて他バンド主催のライブに出ることはなかったと思う。スパークリングレコーズ主催はあるけど。

 

2は初めて見るのでSALOVERSがどうしても思い浮かぶのでそのバンドを経てどうなるのか楽しみでした。

 

まずAL。『地上の天国なソングライターの歌』から始まるのは予想外だった。

1週間くらい前に終わったALツアーの最後の曲が『地上の天国なソングライターの歌』。

そして今回の最初も同じ曲という意味で予想外。

でも、なんかこの感じ、覚えがあるなとおもったら、andymoriラストライブSLSの最後の曲を、andymoriラストライブ武道館の一番最初にもってきてたはず。素晴らしい曲って最初にやっても最後にやっても最高ですよね。あとで『ベンガルトラウイスキー』を聴こう。

 

次の曲の最初だったかな。手拍子を煽る長澤さん。

その直前に、前の方にいた手拍子をするお客さんを見てたので、そのお客さんに恥をかかせない?ように、ってそんな感じに見えました、優しさ。

 

今回のライブみたいに曲数が少なくなるとどういう選曲になるのかなと興味があったのですが、ほとんどツアーでやっている曲と言っていいと思います。*1

ファーストアルバムからの曲数が多くなってるのも面白いですね。代表曲が多いというか。でもファーストでやってない曲で聴きたいのたくさんあります。あります。ある。

 

『シャッター』『15の夏』『ハートの破り方』『ランタナ』。いつか聴けると思ってるし聴けないかもと思ってる曲たち。たぶんきっと、また。

 

週末7日のラジオでの選曲も楽しみです。

ツアーでやった曲でこの日やってない曲もいくつか入るのかな。どうかな。会場には行けないけどラジオで拝聴いたします。

 

これで一時ALおさめ、な感覚です。曲はかわらずずっと聴くんで一時ライブおさめですかね。

次のアルバムはどんなのになるのかなーと楽しみに待つとします。

 

2。27歳の誕生日の古館さん。おめでとうございます!

ギターの加藤さんも凄かった。びっくりしました。ギタリスト!

謎多きベースの方は寛さんに似た空気感か、喋り方が似てるのか、MC面白かったです。

ドラムの女性もパワフルでよかったです。

2、また見たいです。メンバー同士ニコニコ楽しそうに楽器を鳴らしてるのもいいですね。

 

なんか昔を思い出しました。小山田さんや長澤さんの27歳って何してるとき、どのアルバムの時だろう。小山田さん長澤さん今何歳でしたっけ。ライブ見てるとわからない。『1984』聴いて寝ます。

 

*1:会場会場でちょっと違うので

AL 2nd Tour 2018 LIVE @ 仙台Rensa

 

とにかく好かったので、よかった中で特に好きなのをピックアップするだけです。

 

ラスト大阪がまだ残っているので、行く人は見ないほうがいいかもしれないと、考えます!

 

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まず、『丘の上の記憶』「どんなーにかなしいときも」から始まる後藤大樹さんのドラム、鼓笛隊の太鼓と言えばいいのかわからないけど大好きです。ダラララッタッタッタッタッタッタダラララの繰り返し、のところ。ダラララのはさみ方、少し違う長さとタイミングが気持ちいいです。

ライブでは音源よりバシバシきます。小山田さんの声と重なって好いです。

 

この日の『Mt. ABURA BLUES』の「Mt. ABURA BLUES」のところ、いつもと少しテンポが違った気がするけどどうですかね。勘違いかもですがよかった。

 

寛さんがうたい、長澤さんギターの曲、東京の時は手持ち無沙汰で手の居ごこちが悪そうでしたが、今回はペットボトル持ってたので解決してたのもよかったです。歌詞ももちろんすごくよく、「だからこそ」のところ!あと長澤さんの合いの手?のところ!

 

『メアリージェーン』聴きたくて聴けてよかった。

大好きな『ドリーマー』もよかった。

 

『おかしなやつのひとりごと』て題名でいいのかな。出だしを小山田さんがうたうんですが、長澤さんも口パクでというか合わせてうたってるのがよかったです。

たしか東京の時も合わせてマイクが拾わないようにうたってたような気がするんですよね。

 

『花束』で「みんな愛してるよ」って言った後に『北極大陸』で「無理をして君たちと生きたさたまに」と歌うのも相変わらずよかったです。

 

もうラスト大阪はいけないので、大阪でも最高になることを願っています!最高に仕上がってると思います。

 

仙台Rensa、みんなよかったです。一緒にいるんだよ一緒にいたんだよ、がずっと響きます。とてもとても楽しかった。*1

*1:ライブが終わった後に会場でみんな座り込んで、色々用意してお話しできたらどれだけよかったかなと思う。自分からはたぶん話しかけれないけど

AL 2nd Tour 2018 LIVE @ Zepp Tokyo

AL 2nd Tour 2018 @ Zepp Tokyo、ありがとうございました🙋 pic.twitter.com/QffkDO3lZt

 

 

前回のライブから3ヶ月強を経て*1セカンドアルバム『NOW PLAYING』を発売から2ヶ月経った2018年3/15日。セカンドツアー中のALがZepp Tokyoでのライブ。

 

1階2段目の一番前の柵のところで見ていた。*2

会場は結構な人口密度となる。徐々に埋まっていく様子がすごかった。

目の前のフロアを色んな世代なお客さんが埋めたあと、

はーるがきーた はーるがきーた どこにーきたー とほんわかな気分が流れライブが始まる。

 

そして終わる。

みじかい夜だった。待ち焦がれた夜は短かった。セカンドアルバム同様軽やかに進んでいったからかもしれない。

 

あのドラム、あの声、あのギター、その声、あのリズム、ハーモニー、やわらかさ、強い音、やさしさ、はしったりゆったりしたり、ひずみの音、愛、かきむしる音、かけあい、あの歌詞、あの意味、おかしさ、面白さ、驚き、轟き、なつかしい感じ、あの手、この手、

ああまだまだある。愛をこめて書きたいけれど、自分の表現力ではいつもいつも追いつかないんで割愛です*3

 

ああそういえば、前回も ライブ見た後になにか書いたな、いやそもそもその記事でブログを始めたのでした。

 

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改めて読み返してみたものの出だしで「ALはALになった」と書いていました。

今回のライブ後は「よりよくなった」と「もっとよくなる」と思った。

 

もっとよくなる!

 

そしたら。そしたらすごいな。

 

ライブって本当にすごくて、

まっすぐなALのライブが観た人に届いて、感想や感動が色んな人に湧き出て、見てない人とも分ちあっている様子はすごい。届くものは届く。

なんとなく自分が好きなものを繋げようとしてたかもしれないこのブログもツイッターも不必要。蛇足*4に近くなる、が、それでいい。それがいい。

 

東京は人種のるつぼ。たぶん色んな県からきたり、違う音楽を通ってきた方々がZepp Tokyoに集まったと思います。

ALのメンバーも福岡という土地の共有はありつつも音楽ルーツは違う。とインタビューでも話していた。

そんなALの色んなタイプの曲を感じながら、曲によってみんなでもっと遊べたらもっと楽しめたらバカになれたらと思う。それぞれの楽しみ方の尺度はあるけれど。それも分かりあいながら。自分の尺度を侵されないように守るってことではなく。「平和」ってそういうことかも。

「分かりあう」→「動かない」ではなく、「分かりあう」→「能動的に動いてしまったうえで、考えながら分かちあえるポイントを見つける、お互い許せるところは許す」みたいな。

いつか東京で、ALライブで曲で、全ての世代のお客さん、仲間みたいな人がぐわっっとなる、その空間の一員になれたならいいな。できたらすごくないですか。そのぐわっっはどういうものかまだわからないけど。

一人一人客層や観客の雰囲気を気にする前に、

おおもとであるALの曲を気にする。めいっぱい。その曲その曲に反応して身体が勝手に動いてしまう。揺れてしまう。見入ってしまう。そしたら最高。

 

 

 

 

 

そうそう、「またいつか」*5って言っていたと思うので、またいつか会いにいきます。ではまた。

*1:年越しライブもありましたが

*2:一番後ろで見てる感覚だった。

*3:「割愛する」とは、惜しくいもの・大切なものを思い切って省くという意味。 愛着を断ち切るという仏教語に由来する。

*4:むかしむかし蛇の絵を描く競争を・・・ってもういい

*5:2主催ライブの4月5日の“いつか”というギャグではない

坂元裕二(『anone』第7話)

『anone』第7話まだ見ていない方はご覧にならないようにご注意ください。
御願いします。Huluに入ってるのかな。Tverもあと少し。そちらをご覧ください。

 

www.ntv.co.jp

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「ハリカちゃんはさぁー、大人になったら何になりたいー?」

「もう、大人だけど、うーん、郵便屋さん、かなあ」「陽人(はると)くんは?」

「僕はね、あんまり面白いのじゃないよ」

「うん」

「えっとね。優しい人!」

 

ドラマ冒頭にこれまでの『anone』ダイジェストが入りすぎてたら無くなっていたシーンかもな、なんて思いました。

 

陽人君は学校でうまくいかなかったりする子です。そういうことに悩んでいた子が「大人になったら」と想像してるのが最高です。

『anone』のニセモノの家族と遊んで、理解されて、心に平穏をもたらしたのかもしれません。

 

前にブログで書きましたが、ここでもALというバンドのとの共鳴をみせます。

 

Sweetie 大きくなったら何になるの

ねえいつか 大人になったらどこに行くの

きっと君は未来が好きなはずだから

うつむかないでBaby 君のために

 

『ハンアンコタ』という曲は、「きっと君にも色々とあるだろうけどめげないでいこうぜ」と歌う曲です。

さらに「君のやんちゃが呼び覚ますいつかの坊や」や「影法師の向こう側には遠い記憶」という歌詞もあり、

6話だったかな、陽人を見て昔の自分を思いだしたハリカが泣いてしまうシーンを思い出します。

 

そのハリカと陽人が、大きくなったら何になるの?どうなりたいんだろう?と夢を描くのは未来と今の肯定からくるものだと思います。

 

逆に、今と未来のの否定からくるものはなんだろうと考えます。

ハリカ(広瀬すず)は更生施設に入れられたときの記憶が、ファンタジーや空想のようなものに書き換えていました。例えば、赤毛のanneのように。

青羽(小林聡美)は「銀河鉄道の夜」を読んだり。西海(川瀬陽太)はニセモノの拳銃に頼ったり。*1

 

それでもこういうファンタジーやニセモノ、空想が今と未来の否定からくるか、ともう一度考えると、

ある意味現実逃避であり今の否定でありつつも、未来の肯定であると思います。

 

『anone』では今まさに、偽札に作っている真っ最中。

中世古の希望は偽札を作ること。持本は「偽札を作ることは少なくとも僕の夢」と言い、ハリカはたった一つの約束を守るために偽札作りを手伝い始めます。

希望、夢、大事な人との約束の為、大事な人を守る為に、恩人の為に偽札を作る。

利害が一致してしまった人たちがこの後どうなっていくのか、あと3話でどうなるのか見ていこうと思います。

 

それぞれの夢が語られた7話。

他に、7話のすきなシーンを言うと、

冒頭の洗濯物を投げつけあった後に笑うシーン。『Woman』の田中裕子と二階堂ふみがカラオケに行った後に帰ってきて家で毛布にくるまる二階堂ふみと毛布を剥ぐ田中裕子、その後に笑いあうシーンを思い出してよかったです。

 

もうひとつ、働いて働いて帰ってきたハリカ。

自分がご飯を食べる前にネコにご飯を上げて、自分は食べずに寝てしまうシーンもよかったです。一番上の画像のシーンです。

愛された記憶がなくったって、猫も愛することができます。

 

 

youtu.be

 

AL、3月はツアー中ですので、お近くのライブに行ってみたらきっと素晴らしいバンドが見れると思います。名古屋、高松、東京、仙台、大阪が残っています。(9、11、15、23、28日)の5日です。

 

 

 

 

 

www.al-revivalrecords.com

 

 

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*1:結果的にホンモノの拳銃になります

AL 『NOW PLAYING』しばらくたって。1『会いにいくよ』

M1 会いにいくよ

 

まずいきなり余談ですが、

ALというバンドを知って以来、「ある」というワードに敏感なのですが、いきなり「歩けども歩けども」と来るのでびっくりしてしまいます。

結構初期の曲なので「ある」から始めてみようという遊び心があったのかな、なんて想像をしてしまいます。

では余談終わります。

 

 

youtu.be

 

You say yes, I say no
You say stop and I say go go go, 

 

I say high, you say low
You say why and I say I don't know, 

 

歩けども歩けども 続く峰を歩く
コマクサの丘を越えて クロユリの谷を越えて 会いにいくよ (小山田壮平)

いいや俺はここから一歩も出ない 会いに行きたい人などいない 
午前3時のネットサーフィン 今夜も知らない君に 会いにいくよ (長澤知之)

 

やはり、最初の「丘と谷を越えて会いにいくよ」のすぐ後に「いいや」と一気に否定するような歌詞が最高です。

 

これは上に記引用した、ザビートルズの『Hello,Goodbye』のAL版のようにも思えました。

片方はyes,stop,goodbye,low。もう片方はno,go,hello,high。

このすれ違いは誰のせい、ポールのせいなんでしょうか。は、いいとして。

『Hello,Goodbye』は、出会ってすぐすれ違ったま終わるような感じです。

 

ALの『会いにいくよ』はいずれ会えるはずさという違いがあります。*1

 

『会いにいくよ』という共通の目的はあれどその方法も違う。
会いにいく人とその場にとどまる人。身体を使って会うのと、頭を使って会うの違いですね。

このALが唄う『会いにいくよ』は長澤知之小山田壮平、ボーカル2人が交互に歌うので、2つの目線があります。

が、

1つの、一人の目線でも解釈できるなと思いました。

 

例えば、自分が好きなバンドがいたとして、丘や谷を越えてライブを観に行くために会いに行く。

ライブがないときは、ブログを見るためにネットサーフィンや、ラジオなどを見聞きして会いに行く。というように。

そんな風に最近は聴いています。

 

『NOW PLAYING』が発売されたのが1月17日。そんなこんなでアルバムを聴きつつ、発売から約2ヶ月後、来たる3月15日はZepp Tokyoでのライブ。

会いにいきます。電車とバスに乗って、かな。

 
M2 NOW PLAYING

 

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M3 ショートナイト

M4ドリーマー

 

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M5 ウォータースライダー

 

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M6 とびましょう

 

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M7 丘の上の記憶
M8 輝く飛行船
M9 LOVE ME

 

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M10青い泡沫 白い光

 

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M11ハンアンコタ
M12地上の天国なソングライターの歌

 

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*1:ALが出会ってすぐ終わらなくてよかったです。

『哭声/コクソン』

2016年の韓国映画

日本公開は翌年の3/11日です。約1年前ですね

感想書きますので、見てなくて、見たい人は、見ないほうがいいと思います!

下に予告YouTubeをリンクします。

 

youtu.be

 

 

 

 

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2/25にWOWOWで見ました。

哭声/コクソン』はすごいと話題になってたのは知っていて、結局見に行かなかったという映画です。基本的に自分は、したくてしなかったことが結構たくさんあります。*1

 

コクソンという村が舞台の映画です。

 

その村で連続殺人が文字通り連続して起こります。連続殺人が連続するっておかしいか。

いや、連続殺人が連続して起こる、が正しいか。見てみて確かめてください(自分もまた見たいです)

 

その連続殺人の犯人がわからない、ではなく、既にわかっていて

毒キノコを食べて頭がおかしくなって殺してしまったのだろうという発表があります。

ただ、残された謎があり例えば身体に発疹が出てから頭がおかしくなる、というのもあって村全体に不安が渦巻いていきます。

 

誰かが言います。

「あいつは最近来たが何しに来たんだ」「あの日本人が来てからおかしいぞ」「あの日本人がそもそもおかしいぞ」と。

 

その日本人が國村隼さん。

普通の村、コクソンでは普段起こらないことが起こって、なおかつ國村隼さんが演じる日本人は確かにおかしいんです。色々。

山中に一人でいてなんかしてるし、裸でふんどしだし、とにかく異質。

 

主人公は警察官です。

連続殺人が起こる前の村の感じと同様なのか、ゆったりとした人物です。

上に記した「日本人がおかしい」という噂も最初は耳を貸しません。

 

しかし娘に発疹ができます。普段と様子が違う。そこから真相を突き止めようと更に必死になります。

祈祷師に治療を頼んだり、日本人が何をしに来て何者なのかを突き止めようとしたり。

 

そこから色々あるんですが、

この映画、説明むずかしい。なんていえばいいんだろう。

 

うーんと、こう「1次情報」という観点からいうと、

「あの日本人が○○をしてた」という一番最初の現場を目撃した人がいるんです。

それはたしかにおかしい、というかあまり考えられない獣的な行動なんですが、その1次情報を伝え聞いた第3者が不安を募らせ、膨大になるスピード感。というのがすごくリアルでした。

 

その不安というのは村を仲間を守りたい、とか愛する人を守りたいとかからくるものなんですが、それが裏を返せば非常に攻撃的になっている、第3者が伝え聞いた情報なのにより恐ろしく感じてしまっている、という現実。

こういうのって事の大小は違えど、すごく身近にもある話です。どこにでもある話で、どこかで聞いたこともあるような・・・みたいな。

 

「あの映画酷かったよ。」と誰かに聞いた後日、
「あの映画は酷い映画だ。」と、観もせずにしたり顔で周囲に言いふらしてたら、しょうもない
でもそういうことって少なくない話かもと最近思う

 

長澤知之さんの「叩く」というタイトルの日記の一文です。

sp.augusta-mobile.com

 

まさに『哭声』の日本人に対する扱いはこの日記の内容に似たものがあるような気がします。

國村隼さん演じる日本人はおかしいという1次情報をもとに不安が募り、更に2次情報によりその1次情報を持ってきた人より不安になり怒る人が出て、攻撃的になる。

映画ではこの日本人は命を狙われます。

 

何が言いたいかって、 社会的に間違いを起こしたり、失敗したり、挫折している個人に対して、現場や事情をあまり知らぬまま、集団で追い打ちをかけるというか、ざまあみろってなるのが最近多すぎる気がして、あれ、品に欠けるし、危険な気がする
もちろん間違いにもよるから一概には言えないけど、少なくとも僕は見ず知らずの人に究極の悪態を使ってまで非道になる理由を持てない

 

これも同じ日記の引用です。

叩いたり、この危険な行為をする理由っていうのはやはり「何かを守るため」というのが大きいのかなと長澤知之さんのブログ、そして映画を見て、思いました。

 

あるいは守るために加え、「信じるもののため」とか。この信じるものっていうのは人であったり、法律、モラル、なにか哲学みたいなもの、それこそ信仰だったり、そもそも自分自身だったり色々。

それが傷つかない壊されないために究極の悪態をついてしまう。

 

この映画で言うと、傷つかない壊されないどころではなく、

死というものがあるので、攻撃的になる気持ちが分かる気がします。

 

でも「1次情報」がどういう現場でどういう情報源でどれくらいの信ぴょう性で、どういうやりとりで出たこと、そういうことをしっかり認識するのは大事だと改めて思いました。*2

 

その信ぴょう性がどれほどのものかわからない1次情報に踊らされて、それを伝え聞いた「第3者」が見てきたかのように代弁し、例えていうなら

それがマッチ1本の火なのにあぶないからと消火器ぶちまける、とか

料理中の包丁での切り傷で血が出たからと聞いて救急車呼ぶ、とか

台風の日に鶏の看板が飛んでいったのを笑ったら、誰かに当たって傷ついたかもしれないから笑ったらダメだよ、のような。

 

あなたが信じるものはそんなヤワなものなの、とか「自ら悪い方に想像力を働かせて内容も知らないのに勝手に薪をくべて」いない?って聞いてみたくなってしまう、

自分も同じもの信じて見てるけどそんな脆い強度じゃないと思うよ、むしろ守りたいものは自分?といったそういう事象が割と身近にもあるので、さらに自戒を込めようと思います。

 

映画の主人公の周りには母や妻、娘、祈祷師、日本人、謎の女、村の仲間とか色々出てくるんですが、結局そのどれもを信じ切れなかったゆえの末路なのかなと考えてしまいます。

 

このコクソンという映画が凄いのはもう一つあって、

國村隼さん演じる日本人がキリストを意味してるのではないのかという視点です。

映画冒頭で、聖書?福音書?の違いがよくわかってないので、同じだと思ってるんですが、その一節が引用されます。

映画の終盤でも同じ言葉、イエスの言葉が日本人の口から発せられます。

 

キリスト教徒が多いといわれる韓国で、こういうモチーフの映画。監督のキリスト教のとらえ方は全く知らないので、個人的にどういう意図かの解釈の余地があります。

そういう意味でも面白かった映画でした。

 

聖書のメタファーや引用って結構色々な映画などなどにあると思うんですが、そろそろ1度は読んでみないとダメかもなーと思っています。

長澤知之ソロ作品の例えば『舌』とか、ALの『地上の天国なソングライターの歌』とか、映画「沈黙」とかの理解がぐっと広がるような気がします。

*1:そんな人はたくさんいると思いますが・・・

*2:もうすぐ3.11です